日本の自由と民主主義を守るために設立された勝共連合は、戦後一貫して共産主義の脅威に警鐘を鳴らし、スパイ防止法の制定を求める運動を展開してきた。しかし、日本共産党はこれらの活動を強く敵視し、徹底的な反対キャンペーンを展開。その影響は政界・メディア・法曹界にも及び、反共勢力に対するレッテル貼りや弾圧が続いている。なぜ共産主義勢力はこれほどまでにスパイ防止法を恐れるのか?その背景にある日本の安全保障と思想戦の実態を探る。
日本の共産化を阻止するために ー 勝共連合の設立と使命
国際勝共連合 55周年記念映像
スパイ防止法促進サイト
【TBS 報道の日2024】安倍3代と統一教会 半世紀余りの”組織的関係”の原点
【動画】
【要約】

勝共連合 都内決起大会 参議院議員 浜田聡氏参加報告

共産主義との思想戦 ー 勝共連合の反共運動
WACL世界大会 久保木哲子・著 『回顧録 愛あればこそ』より
「国際勝共連合」は1968年に活動を始めました。久保木はその初代会長でした。
日本の共産化の危機は、終戦以降、何度かあったと言われます。特に60年、70年安保闘争の頃は、学生や青年層に左翼勢力が浸透し、共産主義革命が実現しそうな勢いがありました。
東京、大阪、京都と主要都市を革新首長に握られ、民主連合政府樹立を旗印に日本の共産化に向かって、飛ぶ鳥を落とす勢いの日本共産党をはじめとする左翼勢力に翻弄(ほんろう)された1970年代は、日本の政治が崖っぷちに追い込まれたような危機的状況にあったのです。もし、血のメーデー事件のように一部の共産主義者の画策によって国会議事堂が占拠され、臨時革命政府の樹立を宣言されたなら、後にアフガニスタンに侵攻したように、ソ連軍は北海道に雪崩のごとく押し寄せ、あっという間に日本は共産化される危惧(きぐ)があったのが、当時の政治情勢でした。今から思えば隔世の感があります。
左翼団体が暴力革命準備の一環として行った血のメーデー事件とは、GHQによる占領が解除されて3日後の1952年(昭和27年)5月1日、デモ隊の解散予定場所であった日比谷公園から、北朝鮮旗を翻した人々を含む一部のデモ隊が、そのまま皇居前広場に乱入するなど暴徒化した事件でした。
しかし、「共産主義は間違いだ!」の声が日本の空に上がったのです。久保木がその陣頭指揮に立ち、若き血潮を燃やした勝共会員が、共産主義者との対決の矢面に立って日本国民に訴え始めたのです。
とりわけ1978年の京都府知事選は、一つの節目となりました。
公安調査庁第一部長を務め、総理府総務副長官でもあった弘津恭輔(ひろつ・きょうすけ)氏は、「勝共連合の運動の歴史の中で、私が1番感動を覚えたのは、1978年の京都蜷川(にながわ)革新府政を打倒した時の、知事選における勝共連合の壮烈な闘いぶりであった」と述懐しておられます。
当時、28年も続いた「京都蜷川革新府政」は、「京都共産王国」とか「人民共和国蜷川府政」などとマスコミ界で騒がれていたのです。ところが、78年の府知事選で、この日本革新政治の灯台の火は消されてしまいました。この蜷川府政崩壊を目の当たりにした日本共産党は、蜷川共産王国が倒れたのは、国際勝共連合の活動によると受け取ったのです。
話は少し戻りますが、久保木は1969年、タイで開かれたWACL(世界反共連盟)総会に出席し、次のWACL世界大会を日本で開催したいと申し出て、満場一致で可決されました。
そして1970年、WACL世界大会が日本武道館で2万人が結集して開催されたのです。

▲世界の要人ら2万人が結集したWACL世界大会(1970年9月20日、日本武道館)
まずWACL総会が京都国際会議場で開催され、久保木はWACL議長に選出されました。その総会の後、武道館で世界反共大会が開催されたのです。
左翼運動の嵐が吹き荒れる中での、堂々たる世界反共大会でした。これは快挙でした。以来、WACL議長として世界を回り、各国の首脳と会談するようになったのです。
大韓民国の朴正煕(パㇰ・チョンヒ)大統領との会談や中華民国の蒋介石総統との会談、それにローマ法王に謁見(えっけん)する機会もありました。
【1970年9月 勝利への前進 – WACL世界大会(武道館2万人)の報告動画】
勝共連合 VS 共産党 対立『歴史的経緯』
日本共産党は、その歴史において、スパイ防止法の制定運動に対して一貫して反対の立場を取ってきた。以下に、その具体的な経緯を示す。
1952年:破壊活動防止法の制定
1952年5月の「血のメーデー事件」を受け、同年7月21日に破壊活動防止法が制定されました。この法律は、暴力的な破壊活動を行う団体の規制を目的としていましたが、日本共産党はこれを「治安維持法の復活版」と批判し、強く反対。
1968年:国際勝共連合の設立
1968年1月13日、統一教会の創始者である文鮮明氏により、国際勝共連合が韓国で設立されました。この組織は、反共主義を掲げ、日本国内でも活動を展開。
1970年代:日本共産党と国際勝共連合の対立
1970年代、日本共産党と国際勝共連合の間で激しい対立が生じました。特に、1973年の日本共産党第12回大会では、「無産階級の専政」から「労働者階級の政権」への転換が行われ、ソ連型の社会主義からの脱却が図られました。これにより、国際勝共連合との対立が深まった。
1978年:京都府知事選挙での対立
1978年の京都府知事選挙において、国際勝共連合は自由民主党の候補を支援し、日本共産党推薦の蜷川虎三氏に対抗しました。この選挙戦では、国際勝共連合と日本共産党の間で激しい対立が繰り広げられた。
1979年:スパイ防止法制定促進国民会議の設立
1979年2月24日、スパイ防止法の制定を推進するための「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立され、国際勝共連合もこの運動を支援しました。日本共産党は、この動きに対し、国民の基本的人権侵害の恐れがあるとして強く反対した。
1992年:霊感商法問題と日本共産党の批判
1992年、統一協会の機関紙『中和新聞』は、国際勝共連合が推進するスパイ防止法制定運動の資金源が統一教会であるという日本共産党の主張が、「霊感商法問題」を引き起こしたと説明。これにより、日本共産党と統一教会(国際勝共連合の母体)との間での対立が再燃した。
2001年:国際勝共連合による日本共産党批判
2001年6月、国際勝共連合の機関紙『思想新聞』は、日本共産党を「小泉改革の最大の抵抗勢力」などと批判。これにより、両組織の政治的な対立が再び浮き彫りになった。
2022年:志位和夫委員長の発言
2022年、日本共産党の志位和夫委員長は、雑誌の対談にて、共産主義を批判してきた国際勝共連合を「反共の先兵」と位置付け、「旧統一教会との『最終戦争』」という表題の対談を行った。この発言は、日本共産党が長年にわたり国際勝共連合と対立してきた歴史を示している。
これらの経緯から、日本共産党はスパイ防止法の制定運動に対し、その推進母体である国際勝共連合との長年の対立の中で、反対の立場を取ってきたことが明らか。
スパイ防止法制定の必要性と妨害工作
共産・志位氏、旧統一教会と「決着つける」(産経新聞2022年10月27日)
共産党の志位和夫委員長は「サンデー毎日」11月6日号の対談で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)や、関連団体で共産主義を批判してきた「国際勝共連合」を「反共の先兵」と位置付けたうえで「今度は決着つけるまでとことんやりますよ」と宣言した。このやりとりを自身のツイッターでも紹介し、旧統一教会との「最終戦争」への意気込みを強調した。
対談では、ジャーナリストの田原総一朗氏が「共産党からすれば統一教会との最終戦争だ」と指摘。これに対し、志位氏は「長い闘いだった。振り返れば、彼らが反共の先兵として最初に牙を剥いたのは、革新府政を7期28年務めた蜷川虎三京都府知事の後任を選ぶ昭和53年の知事選だった。保守VS革新の大激戦になり、この時に前面に立って謀略的な反共攻撃をしたのが勝共連合だった」と振り返った。
志位氏は平成12年衆院選でも「選挙戦に入って膨大な規模の反共・謀略ビラが撒かれた。出所不明だったが、あらためて勝共連合の年譜を見たら『共産党攻撃の大量宣伝をやった』と書いてある」と主張。「今度は決着つけるまでとことんやりますよ」として、国会などで徹底追及する考えを強調した。
国際勝共連合による日本におけるスパイ防止法キャンペーンこそが、左翼による誹謗中傷の要因だ。Bitter Winter 増渕賢一
日本は自由主義国にも関わらず、スパイ防止法がなかったため「スパイ天国」となった。
日本で諜報活動に従事した旧ソ連元KGBのレフチェンコ少佐が1982年、米国に亡命し、1982年7月に米国下院情報特別委員会で証言した。レフチェンコ氏は、日本には諜報活動を禁じる法律がないため仕事が楽だったと証言し、また、日本におけるスパイ活動協力者として日本社会党の勝間田清一氏(元委員長)、伊藤茂氏(政策審議会長)、佐藤保氏(社会主義協会事務局長)ら約200名の政治家、ジャーナリストの実名を公表した。これは重大事件であった。
日本では北朝鮮の工作員も暗躍していたが、スパイ防止法がないため、警察も取締ができずにいた。スパイ防止法があれば北朝鮮による日本人拉致事件は防げた。日本は産業面では先進国であり、産業スパイから自国の産業を保護する必要もあった。
こうした安全保障上の理由から、国際勝共連合は「スパイ防止法制定国民会議」の設立に向け、政治家、経済人、学者、言論人、法律関係者、外交関係者、宗教者、治安経験者等の各界各層の有識者らの賛同を求めた。また、全国の都道府県に地方組織を設置して同法制定のための啓蒙活動を展開した。こうして、1979年2月に「スパイ防止法制定促進国民会議」(議長・宇野精一東京大学名誉教授)が結成され、サンケイ会館(東京)に学者、文化人、経済人ら300人が集まり、設立発起人会が開催された。
1984年4月には、参議院会館に議員・有識者ら約300人が集まり「スパイ防止法のための法律制定促進議員・有識者懇談会」設立総会が開催された(会長・岸信介元首相)。
私も1982年3月25日に栃木県議会で「スパイ防止法制定を求める意見書」の採択に尽力した。社会党の県議が激しく反対し、牛歩戦術で阻止しようとしたが、夜中まで闘って遂に意見書を採択した。私は国際勝共連合栃木県総支部の幹事長として県内どこにでも行って大会等で演説した。国民の安全、治安を担う警察関係者は、こうした活動を高く評価した。「スパイ防止法制定を支持する専門家の会」の「治安関係者」には、元警察庁長官や元警視総監を含む警察元幹部関係者が名を連ねた。

国会でもスパイ防止法の制定が議論されたが、制定には至らず、国家の安全保障に重大な禍根を残した。
前述の通り国際勝共連合とは1975年以来、関係を保ってきた。2010年以降は家庭連合とも交流するようになった。私が彼らと交流して思うのは、とにかく一人一人が実に真面目な人達だということだ。自分を犠牲にして世のため世界のために生きていることは良く分かる。虚構を信じて人々を不幸に導く左翼の人達とは全く異なる。
左翼系弁護士らは統一教会を攻撃する際、いわゆる「霊感商法」問題を騒ぎ立てる。しかし、「霊感商法」を理解するには、信心とは何か?宗教心とは何か?を知らなければならない。私自身も、信者から勧められて、支援のつもりで大理石壺と印鑑とを購入した。霊験あらたかとされる大理石壺を何十万円、何百万円支払って購入したとしても、お互いに納得の上であれば問題ないはずだ。購入時には納得していたのが、その後霊験を信じられなくなってクレームを起こす人がいても、それは「被害」ではなく、気が変わったということだ。左翼弁護士らは、統一教会、勝共連合を叩く絶好の機会と捉えて「被害」を強調するが、本質をずらすのは彼らの常套手段だ。私は実情が分かっていたので、示談のお手伝いをしたこともあった。
1994年に松本サリン事件、1995年には地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教・麻原彰晃教祖と幹部信者らの計画的犯行であったことが後日明らかになった。この事件後、日本の新興宗教は、カルト色を薄める努力を強いられることとなったように思う。旧統一教会の信者らも、いつしか壺や多宝塔は販売しなくなった。
家庭連合を巡っては高額献金も批判される。しかし、宗教団体への献金はキリスト教であれば極めて普通のことだ。高額か否かはその人の信心の程度に依るのであり、基本的には他人が介入すべき問題ではない。宗教団体は、信徒からの献金を団体の維持・活動のために用いる。布施や献金がなければ、組織的な活動など不可能だ。宗教や信者を否定するのは、「宗教は阿片である」として全否定する共産主義者の主張に他ならない。
家庭連合、国際勝共連合に対して「反日」と批判する者達がいる。ところが、こうした批判をするのは大抵左翼系の「反日」の人達だ。保守分断が狙いなのだろう。国際勝共連合が日本の伝統を保守する為にしてきたことを思えば、彼らを軽々に「反日」だなどと批判できないはずだ。
2022年7月8日、私は自身が後援会長を務める参議院議員候補の応援で栃木県内各地の遊説に立っていたが、県南を通る国道50号線沿いの蕎麦屋で昼食をとっていた際、テレビで銃撃事件を知った。

元首相がなぜ“暗殺”か?と驚くと同時に、安倍氏がそれだけ大きな影響力を持つ政治家であったことを再認識した。
数日後から、銃撃の容疑者・山上徹也の「供述」がマスコミにリークされ、山上の犯行は、「旧統一教会に対する恨み」であると報道された。私は、ケネディ大統領暗殺事件や安重根による伊藤博文暗殺事件の真相に関心を持って関係資料を調べたことがあり、暗殺事件を巡る発表には必ず政治的思惑が絡むことを知っていた。そこで、山上供述に関するリーク報道が流れた際にも、「造られたストーリー」があるのではないかと疑惑を抱いた。実際、事件後、安倍元総理の手術を担当した医師の証言と検死結果とが全く異なるなど、様々な矛盾が明らかにされた。事件報道についての疑問は深まるばかりだ。
ところがマスコミは、容疑者の供述でしかないにも関わらず、「統一教会への恨み」以外に犯行動機はなかったかのような一方的な報道を毎日のように繰り返した。元々、家庭連合、国際勝共連合のことが大嫌いな左傾マスコミにとっては、家庭連合、勝共連合叩きの絶好の機会となり、世論を大いに盛り上げた。しかし、こうした供述をまるで事実であるかのようにリークする一部官憲の姿勢には、疑問を抱かざるを得ない。また今回の報道では、左翼系の報道機関だけでなく、読売テレビまでもが同じ方向の報道を繰り返した。安倍元総理は生前、メディアのフェイク報道に対して最後まで屈しなかったが、この結果、読売からも嫌われたことが分かった。
いずれにしても、銃撃事件の真相が解明されない内から、家庭連合の解散を云々する政府の姿勢は全く理解できない。信教の自由は、国民一人一人の思想信条の自由を担保するために確立された権利であり、民主主義の根幹である。このような社会規範を損うマスコミ報道は慎むべきだ。